「考える人」No.14/2005年秋号(新潮社発行)に掲載された〈峠田の家〉の記事の一部を御覧いただけます。
「考える手」
木組みと土壁の家 前編

原理主義的日本家屋

 宮城県刈田郡七ヶ宿町で大工の親方をしている深田真さんは、原理主義者である。とはいっても、宗教的なものではなく、日本の伝統的な建築を厳格に継承する点でファンダメンタリストなのだ。
 深田さんは、東京都杉並区の出身。もともとは指物の職人だった。
 「うちの親方は、江戸指物の職人で、作るのは茶道具が主。棚物、風炉先屏風、菓子器、煙草盆、その他に家具を作っていました」
 指物を製作していたときに学んだことは、大工になってからも生きている。それは、無垢の木材を扱うこと、繊細な仕事をすること、構造に金物を使わないこと。昔から、腕のよい指物師は、精密に木を組み、金釘打ちを施さずに木工品を作ることにこだわった。その考え方を「伝統構法」の木組みにも生かしている。

 埼玉県入問郡越生町で独立。東京の町田に構造材に金物をまったく使わない「伝統構法」の家を作ったのが親方としては最初の仕事。その後、二年前に杉や唐松などの植林が広がる東北地方南部の七ヶ宿町に移り住んだ。
 現在施工中の家は、七ヶ宿町の町役場から車で二十分ほど走る山の中腹に建てられている。土地三百坪の緩やかに傾斜した元牧草地に二十八坪の平屋。東側が西側より少し高くなった土地だが、無理に造成せず、もともとの地形を生かすことにした。そう考えると自然に東側に主屋が、西側の低地に家を傷めやすい水回りを集めた下屋が配置された。
 材木を伐採したのが平成十五年の二月。「玉伐り」(山で材を適当な長さに整える作業)して製材所に必要な部材を運び、「木拾い」された部材から、ねじれを取り必要な寸法にする「木取り」、材を接合するための仕口・継手を鋸や鑿、鉋を使って加工するなど、地味だが手間のかかる「刻み」と呼ばれる作業は去年の五月から八ヶ月間かかった。これらの部材を組み立てる建前をするのは、地組み(木組みが実際にうまくいくか、小屋組みの複雑な部分などを建前の前に試しに地面で組んでみること)を行い、基礎が出来上がった後のことだ。

木組みは巨大な組木パズル

 今年四月に行われた主屋の建前(柱・梁などを組み合わせる作業)には、地元と、福島岩手から大工が五人、近くの林業関係者なども含めて十人が集まり、二日で上棟した。幣束を立て、準備していた部材を一気に組み立てる建前は、大工にとって晴れの舞台だ。

 それから三ヶ月後、深田さんは弟子といっしよに下屋の建方をしている。
 「いま頭が少し噛みました」
 「もうそんなに入った?」
 「あと五厘くらいです」
 柱と梁の仕口の具合を見ながら、少しずつ木を組んでいく。切り揃えられ、正確に仕口・継手が刻まれたはずの材が組み立てられるのには思ったよりも時間がかかる。
 立てられた柱に、今度は桁や母屋桁を上げていく。一度に枘を八ヶ所も入れなければならない。全体を少しずつ調整しながら、ぴったりになるようにずらし、嵌ったら今度は、大きな木槌の掛矢で、枘穴に叩き込んでいく。静かな山の中に、掛矢が木を叩く音だけが響き渡る。
 作業を見ていて驚かされるのは、日本家屋の軸組み構造が大きな組木パズルのように組み合わさっていることだ。ひとつひとつの木材は、その箇所に適した仕口や継手で接合されている。柱や貫、足固めや差鴨居、梁や桁が順番に組み合わさって、お互いの荷重を支え、かつ地震や台風などの横からの力にも抵抗する仕組みになっている。
 逆に木組みの家を順番に解体していくと、最後は大黒柱と向大黒(大黒柱の向かいにある柱)だけが残る。大黒柱が太いのは、そこに差して組まれる足固めや差鴨居、梁が多いので、それを支えなければならないからだ。さしものが多くても大黒柱に残る断面積が多くなるように、最も太い木材が使われるというわけだ。


貫がなくなった「在来工法」

 普通の木造一戸建ての工事現場で見るものが、この下屋の現場にはない。まず斜めに柱と梁を補強する構造物である筋交いが見当たらず、さらに水平面で斜めに構造を固定する火打ちもない。代わりに梁に平行した貫が何本も柱にささっている。
 大地震が起こるたびに、木造家屋は、コンクリート建築に比べて耐震性がないと言われ、火打ちや筋交い、補強金物を入れることが奨励され。法制化されてきたが、深田さんはこのような流れに否定的だ。
 伝統的な軸組み構造の家は、中規模の地震では、木の曲げ強さや、木材同士の摩擦力によって力を分散して受け入れ、大地震では、貫や差し物、柱や梁などの木組み部分がめり込むと同時に、土壁の周囲が崩れることでエネルギーを吸収し、最悪の場合でも基礎の上で建物がずれることで力を逃すので、家の中の人間は生き残れるように考えられている。このような柔構造が日本建築の本来の姿だ、というのが深田さんの持論である。

取り外し可能な仕口・継手

 主屋には、東西に六問の長さがあるので、高低差がある分、西側は床が地面からIメートル以上の高さがあるが、そこが「清水の舞台」のようになっている。何本も柱と貫が組まれ、床下を覗いてみると、東側の縁側下から反対の西側まで見通せるぐらい風通しがよい。
 床下に張り巡らされた貫には、柱との接合部分に、貫楔が打たれている。貫の仕口を固定するための三角の木材だ。注意して見ると、室内にも、あちこち至る所に、簪のように部材に刺さった仕口・継手がある。接着せずに枘と枘穴だけで木材同士を接合するための工夫を見ていると、これを外すとあれが外れてというようにクイズを出されている気分になる。どこが緩んだ、どこが外れたということが一目瞭然なので、作りかけのようなこの建てかたは将来の修復を見越した「未完成」とも言える。 「現代の木造住宅はまったく異なった方法で作られています。確かに構造自体は、木材で組み立てられていますが、接合部分は簡略化され、蟻や鎌継ぎといった単純な仕口・継手しか使われず、強度は金物に頼っている。さらに構造を新建材で覆い隠したハリボテ建築がその実情。完成した状態から後は、朽ち果てていくだけ」
 釘一本使わないで、仕口や継手だけで構造部材を組み上げていく伝統構法では、それだけ木組みの精密さが要求される。ボルトどころか接着剤も使用せずに家が建てられるのは、現代の木造住宅の作り方に慣れた目には、新鮮でもある。
 いったん組んでしまえば、軸組み自体が建物の構造なので、傷んだ部材、腐食した部材だけを新しいものに代えれば、何百年いや千年先まで使い続けることができる。構造に金物を使っていないので、仕口や継手の決まった方向に力を加えれば、外すことができる。そういう考え方をもっともよく体現しているのが、飛鳥時代、千四百年前に建てられた現存する最古の木造建築、法隆寺の建築なのだ。